「院長紹介」の記事一覧
院長の藤井です。
私は、瀬戸市の赤津で生まれました。
両親が、公務員と八百屋の共働きだったので、
早めに保育園に預けられていました。
母親が八百屋の仕事が終わり、保育園に迎えに来るとそのまま
すぐに接骨院に行って、足のリハビリをするのが日課でした。
自分の足首は、生まれながらにつま先立ちと内側に曲がる、
先天性尖足と内反足でした。
お医者さんから、
「足を良くするには、手術をしよう」と言われました。
ただ親の意見として、
「同じ手術をした子供を見たい」といった視線の先には、
車いすに座っている子供がいてました。
結果的に、手術をするよりも
足首のリハビリをしたほうがいい話になったからです。
当時、家では両親と祖父母の5人で、住んでいました。
特に、祖母が足の事で心配してて
「高野山にお参りしてみては?」をきっかけに、
毎年家族で夏休みに願掛けしに行きました。
中学3年生まで約10年間通っていました。
実際、足首は常につま先が伸びたままで内側に曲がっていたので、
階段を降りようとすると、つま先に全体重が乗るので、ずっと痛かったです。
足首の捻挫は自分が覚えている限り、
右足が捻挫して治れば、次は左足が捻挫をする。
左足が治れば、次は右足が捻挫をする羽目に。
つま先立ち歩きなので、体のバランスも崩れているので、
走ったり重い荷物を持つだけで、次の日には肩や腰が痛くなる始末。
左右の足首には、常にシップを張っていました。
これだから家の外には出たくないと、家の中で静かにしていました。
ただずっと、足首のリハビリをしていたので、
最初伸びていた足首が次第に曲がるようになりました。
それは、10年間通っていた接骨院の先生がつくった、
手作りのリハビリ道具のおかげ。
『人に与えられたものだけで事が進まないと諦めるなら、
自分が道具を作っても事を通す』
ということを、手作りのリハビリ道具から教えてもらった気がしました。
何とか、普通に歩けるようになったし、
階段も普通に降りれるようになりました。
これで、普通の生活ができるようになるのかな?
と思ったんですが、
中学生・高校生になっていくと、今度は急にお腹が痛くなってきました。
小学生までの気楽な学校生活から、
中学生の受験勉強・高校生での集団生活からか!?、
おならがしょっちゅう出てたし、お腹が痛くなることがたびたび出てきました。
特にひどかったのは、高校生の通学の時。
朝、家から高校に向かう電車内。
急にお腹がぐるぐる動き回り、おでこには冷や汗がタラタラと。
「〇〇〇、したいー。」と。
ひどいときには、電車内で「アカンもう無理や」。
駅に着いたとたん、慌ててトイレへ。
何とか間に合ったことが、高校3年間で何回もありました。
当時、通学内の駅トイレは駅の何処にあるかは全部覚えていました。
お腹痛くなった時、すぐに行けるようにと。
神経性腸炎か過敏性腸症候群だったかなと、個人的には思っています。
学校を卒業して、鍼灸や整体・解剖学や生理学を勉強して、
自分で身体やお腹のケアをしていくと、
今では、お腹のトラブルはありません。
過去を振り返って思うのは、足首が良くなっても歩き方はぎこちないし
スポーツをしても全然動けないし、
なにより動けない自分を、周りに気づかれないように常に気にしていたので、
常に身体やお腹が緊張してたかもしれません。
個人的な経験を踏まえてですが、自分の経験を通じて、
身体の痛みで困っている方や、常に緊張して自律神経が乱れる方の気持ちが
少しは感じる様にはなりました。
ただ感じるようにはなるけど、身体が楽になる方法はないのか?という意味で、
自分が施術をする側に立っても、少しでも腕を上げるために月に1〜2回、
東京や大阪・博多まで足を伸ばして、施術の勉強会に参加しています。
『人に与えられたものだけで事が進まないと諦めるなら、
自分が道具を作っても事を通す』
少しでも、身体が楽になるように。